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東京地方裁判所 平成7年(合わ)232号 判決 1996年3月12日

主文

被告人を懲役八月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある骨スキ包丁一丁(平成七年押第一三四六号の1)を没収する。

本件公訴事実中殺人の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、業務その他正当な理由による場合でないのに、平成七年七月一六日午前一時三〇分ころ、東京都北区《番地略》甲野ハイツ前路上から同番B方前路上に至るまでの間、刃体の長さ約一四センチメートルの骨スキ包丁一丁(平成七年押第一三四六号の1)を携帯したものである。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は銃砲刀剣類所持等取締法三二条四号、二二条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役八月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してある骨スキ包丁一丁(平成七年押第一三四六号の1)は、判示の犯行を組成した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収することとする。

(一部無罪の理由)

第一  本件公訴事実中殺人の点は、「被告人は、平成七年七月一六日午前一時三〇分ころ、東京都北区《番地略》A方前路上において、Cに対し、殺意をもって、所携の刃体の長さ約一四センチメートルの骨スキ包丁でCの腹部を一回突き刺し、よって、同日午前二時三三分ころ、同都板橋区加賀二丁目一一番一号帝京大学医学部附属病院において、Cを胸腹部刺創による失血により死亡させて殺害した」というのである。

しかし、当裁判所において取り調べた関係証拠によれば、被告人が、少なくとも未必の殺意をもって、右公訴事実のとおり、Cを死亡させた事実を認定し得るが、被告人の行為は正当防衛行為であるといわざるを得ない。以下、敷延して説明する。

第二・一 被告人がCを殺害した現場を直接目撃した第三者は存在しておらず、本件は、いわゆる死人に口なしという事案であり、唯一の直接証拠である被告人の捜査及び公判の各段階における供述については慎重に判断する必要があるところ、被告人の右各供述を、他の証拠に照らして種々の角度から検討してみたが、疑問なきにしもあらずという面があるにしても、その信用性を全面的に否定するまでには至らず、結局、関係証拠によれば、被告人と被害者との関係、本件殺人の公訴事実に相応する事実関係、その前後の状況等は、次のようなものであったと認めざるを得ないという結論に達した。

1  被告人は、かつて暴力団乙山組の組員であったころ、同じく組員であったCと知り合いになったが、被告人が乙山組を抜けてタイル目地業を営む丙川工業に就職したため、Cとも疎遠になっていた。その後、Cが数年前の一時期丙川工業に勤めたことなどから、被告人は、再びCと顔を合わすようになり、最近では一緒に飲酒する機会もあったが、Cの酒癖が悪く、飲酒すると、人にからんでは金をたかってくるためCを快くは思っていなかった。

2  被告人は、幼なじみのDとともに、平成七年七月一五日午後一〇時一五分ころ、自宅近くの、東十条《番地略》丁原ビル二階所在の「パブプラザ戊田」に赴いたところ、Cも既に来店し、一人で飲酒していた。Cは、被告人らを認めて、Dを呼び付けたり、カラオケで歌っていた被告人に対し、「へたくそだからやめろ」などと言い、カラオケ代を無心したりもした。

ところが、被告人がこれに応じなかったため、Cは、腹を立て、被告人目掛けて硬貨数枚を投げ付けた。このため、被告人とCはけんかを始め、Cが被告人の顔面を殴ると、被告人がCの顔面を殴り返し、さらに、近くにあったコップをテーブルでたたき割ってその破片で刺そうとしたが、被告人の知人EやDらが二人を引き離し、Dが被告人を店外に連れ出した。

3  しかし、怒りの収まらないCは、店外まで被告人を追い掛け、上半身裸になって、「A’(被告人の通称)、この野郎。勝負してやる」と被告人を挑発し、被告人もこれを受けて上半身裸になり、「何この野郎。よし、やってやる」と怒鳴り返したため、再び暴力沙汰に発展するような状況となった。

再度Dらが二人を制止してその場を収めたが、Cは、なおも被告人を追い掛けて、「この野郎。勝負してやる」と怒鳴り付け、被告人もこれに応じて、「お前が先に殴ってこい」などと怒鳴り返したため、被告人とCは殴り合いのけんかとなった。最初は、Cの方から、被告人に殴り掛かったものの、被告人が、Cの顔面をこぶしで五、六回殴り返して路上に倒し、その顔面を蹴り付けたり、肘打ちをするなど、一方的に暴行を加えた。

Cは、このためますます興奮し、「この野郎、てめえぶっ殺してやるからな、A’」などと怒鳴っていたが、Eに制止された。

4  被告人も、Dによって、Cから離され、引っ張られるようにして、東十条甲田マンション所在のラーメン店「乙野」に入り、ビールを飲んだりしているうちに、次第に興奮していた気持ちが落ち着いてくると、以前、Cが、丙川工業の従業員といざこざを起こした際、包丁を持って相手の家に押し掛けたということを思い出し、Cが被告人方を知っていることから、今回も、包丁を持ち出して、被告人方に仕返しに来、包丁で切り付けてくるのではないかという不安に襲われた。

そこで、被告人は、同月一六日午前零時ころ、雇い主のFに電話を掛けて助言を求めたところ、Fから、「自宅に戻って鍵を掛けて寝ろ」などと言われたため、ますます不安な気持ちを募らせていった。

5  一方、Cは、前記のとおりEに制止された後、同月一五日午後一一時二〇分過ぎころ、Eに送られて一旦帰宅したものの、怒りが収まらず、自宅の台所にあった刃体の長さ約二〇・四センチメートルの筋引包丁を持ち出して再び外出した。

Cは、同日午後一一時三〇分ころ、東十条《番地略》所在の小料理店「丙山」に赴いて、おかみに被告人の住まいを尋ね、翌一六日午前零時ころにはスナック「丁川」に行き、被告人の同僚で、かつて乙山組でCの兄弟分だったGにやはり被告人の住まいを尋ね、さらに、同日午前一時ころ、赤羽西四丁目《番地略》所在のコーポ戊原二〇一号室のF方にタクシーに乗って押し掛け、筋引包丁を手にしながら、「Aいるか。Aをぶっ殺してやる」などと言って、被告人の所在を執ように捜し回っていた。

6  被告人は、Cから仕返しされるという不安な気持ちを募らせ、当日はD方に泊めてもらうこととしたが、Dに勧められて、Gに、被告人とCの仲裁をしてもらうつもりで、同日午前零時ころ、G方に赴いたところ、そのころ帰宅したGから、Cが被告人を捜し回っていることを教えられた。

さらに、被告人は、DとGの三人で、近くの居酒屋兼ラーメン店「甲川」に入り、Gに、Cを殴ったことを話し、Cの仕返しが怖いので何とかしてほしい旨頼むと、Gから、「明日おれがCに話を付けてやる。今日は、お前の家に泊まってやるから大丈夫だよ」などと言われたため、これに従い、Dと別れて、Gとともに帰宅した。

7  被告人は、自宅に戻ったものの、Cが包丁を持って仕返しに来るであろう、自宅に鍵を掛けておいても、Cが来れば、GがCと話を付けようとして開け、Cを招き入れてしまうであろう、一旦、Cが家の中に入ってしまえば、G一人では、酔っ払っているCを止めきれないであろうと思うと、不安な気持ちが依然として収まらず、とにかく、家にいては危険と考え、どこかへ酒を飲みに行こうと思い外出することにした。

しかし、被告人は、どこかでCと出会うかもしれないという不安な気持ちもあったことから、護身用に、台所にあった刃体の長さ約一四センチメートルの骨スキ包丁一丁(平成七年押第一三四六号の1)を取り出して、これをズボンの腰の後ろの部分に差し、Cが来るとすれば、表通りからタクシーで来るであろうと思い、自宅前の路地を、表通りとは逆方向のB方の方に向かった。

8  被告人は、B方の角を右折して環七通り方面に向かい、同日午前一時三〇分ころ、B方の角から約八・八メートル進んだ地点である東十条《番地略》B方前路上付近に達したとき、四、五メートル先に、「A’、てめえ、この野郎」などと怒鳴りながら、右手に持った筋引包丁を振り上げて、被告人の方に小走りに向かってくるCを認めた。そして、その直後、Cは、筋引包丁で被告人に切り掛かった。

被告人は、逃げる余裕もなくその場に立ちすくみ、体を右に傾けてCの攻撃を避けようとしたが、左首筋を切られ、さらに、Cが再度包丁を振りかざして被告人を切り付けようとしたため、このままでは殺されてしまうと思い、自己の身を守るため、とっさに、左手で骨スキ包丁を取り出し、少なくとも未必の殺意をもって、Cの腹部を一回突き刺した。

9  被告人は、その直後にCが崩れるようにして道路上に仰向けに倒れたため、あわてて履いていたサンダルを脱ぎ捨てたまま直ちに自宅に帰り、GにCを刺したことを告げるとともに、一一九番通報をするなどし、さらに、Cの倒れている現場に戻ったが、救急隊が到着しないため小料理屋「乙原」まで走り、再び一一九番通報をした。

10  Cは、その後到着した救急隊により、東京都板橋区加賀二丁目一一番一号所在の帝京大学医学部付属病院に収容され、手術を受けたが、同日午前二時三三分ころ、胸腹部刺創による失血により死亡した。

二 検察官は、H子の検察官に対する供述調書(甲40)によれば、Cは環七通り方向からB方の角に向かって声を発しながら進行していたことが認められる上、その付近は、直線道路で見通しを遮るものはなく、夜間であっても照明により明るかったことからすると、Cが襲ってくることを予期していた被告人としては、B方の角を曲がった時点で、前方一〇メートルより更に遠方から声を発しながら向かってくるCを認めて、自らもCに向かって近付き、本件行為に及んだものであることが優に認められる、このことは、被告人が本件行為の約一時間前に、居酒屋兼ラーメン店「甲川」において、Gらに対し、「おれはどうしても納得できない」としきりにこぼしていた事実に照らすと、本件行為当時も、被告人が依然としてCに対する憤激の情を抱いていたものと認められることからも推測される、被告人の捜査及び公判の各段階における供述は客観的状況に反しており、信用することができない、と主張する。

1  確かに、H子の右供述調書によれば、本件当日の深夜、丙田屋の方(環七通り方面)からB方の方に向かって歩いてくる男の声がした、その声はだれかに絡んでいるような感じがした、その後、別の男の「電話を掛けなくちゃ」という声がして、丙田屋の方に走っていく足音がした、というのであるが、右供述調書等によれば、H子は、当時、Cらを直接目撃したのではなく、本件の現場である道路に面した息子夫婦の家屋から一軒奥まった家屋内においてワープロを打っていた際、屋外にいる男の声をたまたま聞いたにすぎない上、本件発生後、約五か月も経過した時点で初めて検察官の取調べを受けて、その点に関し供述したものであり、H子自身も記憶のややはっきりしないところがあると認めているほどであるから、そもそもその供述内容の正確性には疑念がないではない。しかも、その供述内容自体、前記の程度にとどまる上、声を聞いたという時間が必ずしも正確に特定されているとはいい難い。

そうであるならば、H子のいう男の声がCのものであったとは必ずしも断定し得ないし、たとえ、それがCの声であったとしても、H子は、その声が間断なく続いていたとまでは断定しているものでもないから、被告人がB方の角を曲がって本件行為に及んだ地点に達するまでの間に、Cの声を聞いてCを発見しているはずであるとは決め付け難い。

また、確かに、関係証拠によれば、本件現場付近は直線道路であって、見通しを遮るものはなく、また、夜間でも照明されていて明るいこと、被告人は、自宅を出て、B方の角を曲がったころも、Cが仕返しに来るのではないかと強い不安な気持ちに追い込まれていたことが認められるが、被告人がCを早期に発見し得るように終始前方等を注視していたとまではうかがわれず、不安のあまり何事かを考えるうちに、Cを発見することなく、一〇メートル弱の距離を進んでしまうということがないとは断定し得ない。

さらに、関係証拠によれば、前記認定のとおり、Cは、筋引包丁を携えて約二時間も被告人を執ように捜し回っていた上、被告人と遭遇した際には被告人方の近くまで来ていたことが認められるから、Cは、被告人がB方の角を曲がってきた直後に、被告人の姿を認めて声を上げて駆け寄り、被告人もそれに相前後してCの姿を認めたということも考えられなくもないが、当時、Cは酔っていた上に、どのような様子で被告人を捜していたのか具体的に解明するまでの証拠がないから、前記のような事実をもって、そこまで断定することもできない。

2  次に、被告人の被害者に対する憤激の情の点であるが、前記認定のとおり、被告人は、「パブプラザ戊田」等でCに暴行を加えた後、気持ちが落ち着くに従って、Cが刃物を持って被告人方に仕返しに来るのではないかという不安に襲われ、Fに電話して助言を求めたり、Gに自宅に一緒に泊まってもらうことにするなどしていたものであって、特に大の男が身の安全を図るため知人に泊まってもらおうとすること自体、尋常なことではなく、このような事情は、被告人が、自宅に戻った際、けんかのきっかけを作った上、被告人に仕返しをしてくるであろうCに対し、憤激の情を抱いていたということよりも、Cが刃物を持って仕返しに来ることに対し、不安な気持ちに強く駆られていたことを裏付けているというべきであり、このような不安な気持ちは、本件行為の直前も同様であったものと考えるのが相当である。

確かに、Iの司法警察員に対する供述調書(甲26)によれば、所論のように、被告人がGらに対し「おれはどうしても納得できない」などとしきりに言っていたのを、「甲川」の主人であるIが聞いていたことが認められるが、Iは、被告人らの会話を一部始終聞いていたものではなく、また、被告人が、何について「納得できない」と発言したのかも分からないのであるから、被告人の右のような発言から、被告人が依然としてCに対して憤激の情を有していたことは推認し得ない。

もっとも、被告人の検察官に対する平成七年八月四日付け供述調書(乙8)によれば、被告人は、当時、元はといえば、今回のけんかはCが吹っ掛けてきたものであり、そのことでCから仕返しをされてはたまったものではないという不愉快な気持ちも有していたことが認められるが、そうであればこそ、被告人としては、でき得るかぎりCと遭遇しないようにしていたものと認められ、被告人が右のような気持ちを有していたことから、これまた、直ちに、被告人がCに対して依然として憤激の情を抱いていたということにはならない。

このような事情等からすれば、本件当時の被告人の感情からして、被告人がCに向かって行ったということを推認することはできない。

3  また、被告人は、捜査及び公判の各段階を通じ、Cを認めて身動きしないまま、切り掛かられ、その場で本件行為に及んだ旨供述してはいるが、本件行為の地点については、捜査段階においてはB方の角を曲がって二、三歩歩いたとき、公判段階においては曲がって五、六歩歩いたとき、五メートル位歩いたときなどと供述を変遷させている上、本件行為の地点に関する右供述は、客観的状況と矛盾していることが認められるから、真実は、被告人がB方の角を曲がって間もなくCに気付き、本件行為の地点までCに向かって行ったものであるがために、つい真実を吐露するような供述を一部ではあるがしてしまったのではないかとも考えられなくもない。

しかし、関係証拠によれば、被告人は、前夜から相当飲酒していた上に、本件当時、Cから刃物で仕返しされるのではないかと考え、強い不安な気持ちに追い込まれていたことが認められるから、これらの影響により、周囲の状況についてまで冷静かつ合理的に認識をすることができるような状態には必ずしもなかったのではないかともうかがわれるし、しかも、B方の角から本件行為の地点までの距離は約八・八メートルにすぎず、これ自体もそれほど長い距離ではないから、被告人がB方の角を曲がった直後にCを認め、その場で本件行為に出たという意識になっていたとしても、あながち不自然であるとはいえない。

そして、司法警察員作成の殺人被疑事件引当り捜査報告書(甲36)に、被告人の捜査段階の供述を加え検討すると、被告人は、平成七年七月二四日に行われた引き当たり捜査の際、本件行為の地点として、前記認定にかかる地点を指示していることが認められるのに、被告人は、その地点について、その後も依然として、従前の供述を捜査官に対し繰り返していることからすれば、被告人が殊更記憶に反し、うそを供述していたとはうかがわれないし、その後五か月近く経過した第四回の公判期日に具体的な数値についてはそれと若干異なる供述をするに至ったとしても、時の経過とともに記憶は薄れるものである上、B方の角を曲がって間もなくCを認めたとする限りではほぼ一貫しているといえることからすれば、これまた不自然であるとは決め付け難い。

このような事情等を併せ考えると、B方の角を曲がって本件行為に及ぶまでの状況等に関する被告人の捜査及び公判の各段階における供述が不自然不合理であって、到底信用することができないとまではいい切れない。

三 右のような事実関係であるとするならば、本件行為は、正当防衛行為であると認めざるを得ない。

1  検察官は、被告人は、Cからの侵害を予期し、その機会を利用して積極的にCに対し加害行為をする意思(以下「積極的加害意思」という。)でもって、本件行為に及んだものであって、正当防衛の要件である急迫性に欠ける、と主張する。

しかし、検察官は、被告人がB方の角を曲がって直ぐにCを認めながら、Cに向かって進んで行き、B方の角から約八・八メートルの地点で本件行為に及んだものであるという事実を重要な根拠にして、前記の主張をするのであるが、既に認定・説示したとおりであって、所論のような事実を認めることができず、かえって、被告人は、B方の角を曲がって約八・八メートル進んだ地点で、筋引包丁を振り上げて小走りで近付いてくるCを認めて立ちすくみ、筋引包丁で切り掛かられて、本件行為に及んだものであると認めざるを得ないから、このような事実関係をもってしては、被告人が所論のような積極的加害意思を有していたという根拠にすることはできない。

所論にかんがみ、更に説明すると、被告人がCと遭遇しないとも限らない飲屋街の方に行こうとしていた点にやや疑問を感じないでもないが、被告人が自宅に戻った際の気持ちは、既に認定・説示したとおりであり、また、被告人がCの仕返しを恐れ、D方に泊まろうとしたり、Gに自宅に泊まってもらうなどしていたことや、本件行為の態様及びその直前・直後における被告人の行動等をも併せ考えると、「自宅に鍵を掛けておいたとしても、Gは、Cが来れば、話をつけようと鍵を開けてCを招き入れてしまうだろうし、一旦、Cが家の中に入ってきてしまえば、G一人では、酔っぱらっているCを止めきれないだろうと思って外出した」、「とにかく家にいたくないという気持ちであった」、「Cは表通りからタクシーで来ると思っていたので、自宅前の路地を、表通りとは逆方向になる左方向に進んだ」、「どこかでCと出くわさないとも限らないと思うと、不安で、護身用に家にある包丁を持って出掛けようと思った」、「Cと顔を合わせることを予想していたわけではなく、できれば顔を合わさずに飲みに行きたいと思っていた」旨の被告人の供述を不合理なものとして無下に排斥することはできない。

もっとも、被告人の検察官に対する平成七年八月四日付け供述調書(乙8)には、「仮にCと出会って、Cが包丁を持っていれば、自分としても対抗上包丁を使わざるを得ないと思っていた。そして、お互いに包丁を持ってけんかとなれば、お互いにけがをしたり、下手をしたら死ぬかもしれないとは思ったが、やられる前にやらなければこっちがやられてしまうと思った」との供述記載があるところ、右の供述記載は、被告人が積極的加害意思を有していたことを示すものであるというように解されなくもない。しかし、被告人は、右供述調書以外の検察官(乙6、7)及び司法警察員(乙2、3)に対する各供述調書並びに公判供述においては、一貫して、骨スキ包丁を持ち出したのは護身用のためであったとしており、それ以上に積極的加害意思を有していたと解せられるような事実を認めていないのであり、このような供述の経過や、被告人としてはでき得る限りCと会いたくなかったことなどに照らすと、前記の供述記載を、積極的加害意思を認めたもののように解するとするならば、いささか不自然な感を免れず、むしろ、前記の供述記載は、被告人としては、Cから包丁で攻撃されれば、万やむを得ず骨スキ包丁を用いて身を守らなければならないと思っていたということと同趣旨のことを述べたものにすぎないと解するのが相当である。

そうであるならば、被告人は、そもそもCと遭遇することをでき得る限り避けようとしていたものであって、その意味では、本件は、侵害の予期の程度が相当少なくなっていたというべき事案である上、ただ、被告人としては、万一Cと遭遇した場合、刃物でもって仕返しされるかもしれないという不安な気持ちを依然として抱いていたため、護身用に骨スキ包丁を持ち出したにすぎないから、Cと遭遇して、Cから刃物で攻撃されれば、身を守るため万やむを得ず骨スキ包丁を使用するという意思があったからといって、被告人が積極的加害意思を有していたとまで認めることはできないというべきである。

2  また、検察官は、Cは、被告人から強度の暴行を加えられたため、仕返しとして筋引包丁で切り掛かったものであり、Cの侵害行為は、被告人自らが招いた危害という側面もあるから、急迫性を欠く、と主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、パブプラザ戊田店内及びその付近での被告人とCとのけんかにおいては、被告人がCに対し一方的に近い状態で暴行を加えた結果となってはいるが、このけんかのきっかけは、Cが作ったものであって、一方的に被告人のみが責められるべきものであるとはいえないし、関係証拠によれば、被告人としても、Cが包丁で攻撃してくるであろうことを予測して、Cを挑発するためにけんかしたものでないことも明らかであるから、Cの侵害行為が被告人にとって自ら招いた危害であるとまではいえず、急迫性に欠けるということはできない。

3  さらに、検察官は、(一)Cは、包丁で一回切り掛かったにすぎない、(二)Cは、本件当時、第一度酩酊に相当する酒酔い状態にあり、相当程度運動能力や平衡感覚が失われていたとうかがわれるから、Cの攻撃は容易にかわし得る危険度の余り高くないものであったと認められる、(三)これに対し、被告人の反撃行為は、胸腹部を所携の骨スキ包丁で一突きして深さ約一三センチメートルの刺創という致命傷を負わせた極めて危険なものである、ということを根拠にして、被告人の本件行為は防衛行為としての相当性を欠く、と主張する。

しかしながら、(一)の点については、前記認定のとおり、Cは、筋引包丁で被告人に一回切り掛かった後、なおも切り付けようとしたものである。また、(二)の点については、東京医科歯科大学医学部法医学教室教授支倉逸人作成の鑑定書(甲4)によれば、Cの血液からは一ミリリットル当たり一・二五ミリグラムのアルコールが検出されており、これによれば、Cが本件当時第一度酩酊に相当する状態にあったものと認められるが、被告人を捜し求めていた際の状況からは、Cは所論のように相当程度運動能力や平衡感覚が失われるほど酔っていた状態にあったとはうかがわれないし、被告人に切り掛かってきたCの状況は、前記認定のとおりであり、かつ、被告人も、本件前日から当日にかけて相当量の酒を飲んでいた上、被告人は、Cの姿を認めた直後にCに切り掛かられたものであって、被告人にとって、Cの攻撃をよけることが容易であったとはいえず、結果的にも、その攻撃をよけきれずに首筋に長さ一一センチメートルの、一部については四針縫うという切創を負っていることからすれば、Cによる攻撃が危険性が高くなかったとは到底いえない。さらに、(三)の点については、被告人の本件行為が危険な態様のものであるとしても、関係証拠上、被告人がCから筋引包丁でなおも切り掛けられようとしている状況の下では、被告人に、より危険度の低い反撃行為を期待することはできなかったというべきである。

検察官の主張する各点は、被告人の本件行為が防衛行為としての相当性に欠けることを根拠付けるものとはいえない。

結局、検察官の主張はいずれも採用することができない。

四 以上によれば、被告人の殺人の所為は、正当防衛として罪とならないものであるから、刑訴法三三六条に則り、被告人に無罪の言い渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑/懲役七年・没収)

(裁判長裁判官 阿部文洋 裁判官 本多俊雄 裁判官 大西直樹)

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